ある大学でこんな授業があったという。
「クイズの時間だ」教授はそう言って、大きな壺を取り出し教壇に置いた。
その壺に、彼は一つ一つ岩を詰めた。
壺がいっぱいになるまで岩を詰めて、彼は学生に聞いた。
「この壺は満杯か?」教室中の学生が「はい」と答えた。
「本当に?」
そう言いながら教授は、教壇の下からバケツいっぱいの砂利をとり出した。
そしてじゃりを壺の中に流し込み、壺を振りながら、岩と岩の間を砂利で埋めていく。
そしてもう一度聞いた。
「この壺は満杯か?」学生は答えられない。
一人の生徒が「多分違うだろう」と答えた。
教授は「そうだ」と笑い、今度は教壇の陰から砂の入ったバケツを取り出した。
それを岩と砂利の隙間に流し込んだ後、三度目の質問を投げかけた。
「この壺はこれでいっぱいになったか?」
学生は声を揃えて、「いや」と答えた。
教授は水差しを取り出し、壺の縁までなみなみと注いだ。彼は学生に最後の質問を投げかける。
「僕が何を言いたいのかわかるだろうか」
一人の学生が手を挙げた。
「どんなにスケジュールが厳しい時でも、最大限の努力をすれば、 いつでも予定を詰め込む事は可能だということです」
「それは違う」と教授は言った。
「重要なポイントはそこにはないんだよ。この例が私達に示してくれる真実は、
大きな岩を先に入れないかぎり、それが入る余地は、その後二度とないという事なんだ」
君たちの人生にとって”大きな岩”とは何だろう、と教授は話し始める。
それは、仕事であったり、志であったり、愛する人であったり、家庭であったり・自分の夢であったり…。
ここで言う”大きな岩”とは、君たちにとって一番大事なものだ。
それを最初に壺の中に入れなさい。さもないと、君達はそれを永遠に失う事になる。
もし君達が小さな砂利や砂や、つまり自分にとって重要性の低いものから自分の壺を満たしていけば、
君達の人生は重要でない「何か」に満たされたものになるだろう。
そして大きな岩、つまり自分にとって一番大事なものに割く時間を失い、その結果それ自体失うだろう
67 名前:1/2[]:2010/10/24(日) 14:16:19.67 ID:TCEuIKy4O
私は百貨店で販売の仕事をしているのですが、先日仕事中の出来事です。
三歳くらいの女の子を連れた、若い女性が来店されたのですが
親子のようですが、少し様子が変でした。
夏の暑い日で女性はノースリーブに膝丈のパンツ、サンダルと言う軽装なのに
女の子は長袖長ズボン、素足に薄汚れたスニーカーという出で立ち。
娘は母親の後ろをオドオドとついていく感じで、楽しくお買い物という感じは全然しないのです。
仕事中でしたので、それとなく様子をうかがっていたのですが
突然、何かがぶつかるような音と、女の子の
「お母さん、ごめんなさい、お母さん、ごめんなさい」
という悲鳴のような声が聞こえてきました。
見やると床に倒れた女の子と、恐ろしい目でそれを睨み付ける母親の姿が。
女の子の頬は赤く腫れています。
私は警備員に連絡をし、二人の方に駆け寄ったのですが
女性に声をかけようとしたときです。
ヤンキー風の若い男が女性を怒鳴り付けたのです。
「テメー、子供になんてことするんだ」
女性も言い返しました。
「躾なんですから、余計な口は出さないでください」
騒ぎに気づいた他のお客様も集まってきました。
私はオロオロしてしまい見守ることしか出来なかったのですが
68 名前:2/2[]:2010/10/24(日) 14:17:35.95 ID:TCEuIKy4O
男「何が躾だ、テメーのやってることは虐待じゃねーか」
女「変な言いがかりはやめてよ、躾よ、虐待なんかじゃないわよ」
しばらく睨みあっていたのですが、突然男は女の子に近づき
男「躾ってのは、身を美しくするって書くんだ」
そういって女の子の袖をまくったのです。
女の子の腕は痩せ細り、そしてアザだらけでした。
男「アザだらけの体のどこが美しいって言うんだ」
女性は絶句し、泣き出しました。
そこへ警備員が駆けつけ、警察やら児童相談所やらに連絡がとられることになったのです。
騒ぎが収まったあと私はそのヤンキー風の男性にお礼を言いました。
男性はちょっと照れたように
「昔の俺みたいだったからよ、躾だ躾だっていわれてたけど、漢字見たら大嘘だってわかったから」
見た目は怖かったけど凄くかっこよかったです。
超スゲェ楽になれる方法を知りたいか?
誰でも幸せに生きる方法のヒントだ
もっと力を抜いて楽になるんだ。
苦しみも辛さも全てはいい加減な幻さ、安心しろよ。
この世は空しいモンだ、
痛みも悲しみも最初から空っぽなのさ。
この世は変わり行くモンだ。
苦を楽に変える事だって出来る。
汚れることもありゃ背負い込む事だってある
だから抱え込んだモンを捨てちまう事も出来るはずだ。
この世がどれだけいい加減か分ったか?
苦しみとか病とか、そんなモンにこだわるなよ。
見えてるものにこだわるな。
聞こえるものにしがみつくな。
味や香りなんて人それぞれだろ?
何のアテにもなりゃしない。
揺らぐ心にこだわっちゃダメさ。
それが『無』ってやつさ。
生きてりゃ色々あるさ。
辛いモノを見ないようにするのは難しい。
でも、そんなもんその場に置いていけよ。
先の事は誰にも見えねぇ。
無理して照らそうとしなくていいのさ。
見えない事を愉しめばいいだろ。
それが生きてる実感ってヤツなんだよ。
正しく生きるのは確かに難しいかもな。
でも、明るく生きるのは誰にだって出来るんだよ。
菩薩として生きるコツがあるんだ、苦しんで生きる必要なんてねえよ。
愉しんで生きる菩薩になれよ。
全く恐れを知らなくなったらロクな事にならねえけどな
適度な恐怖だって生きていくのに役立つモンさ。
勘違いするなよ。
非情になれって言ってるんじゃねえ。
夢や空想や慈悲の心を忘れるな、
それができりゃ涅槃はどこにだってある。
生き方は何も変わらねえ、ただ受け止め方が変わるのさ。
心の余裕を持てば誰でもブッダになれるんだぜ。
この般若を覚えとけ。短い言葉だ。
意味なんて知らなくていい、細けぇことはいいんだよ。
苦しみが小さくなったらそれで上等だろ。
嘘もデタラメも全て認めちまえば苦しみは無くなる、そういうモンなのさ。
今までの前置きは全部忘れても良いぜ。
でも、これだけは覚えとけ。
気が向いたら呟いてみろ。
心の中で唱えるだけでもいいんだぜ。
いいか、耳かっぽじってよく聞けよ?
『唱えよ、心は消え、魂は静まり、全ては此処にあり、全てを越えたものなり。』
『悟りはその時叶うだろう。全てはこの真言に成就する。』
心配すんな。大丈夫だ。
光市母子殺害事件で妻と子供を失った本村洋さんが一時の気の迷いから勤務先の新日鐵を退社しようと思い立ち辞表を書いた時に上司は次のように述べたという。
『君はこの職場にいる限り私の部下だ。そのあいだ、私は君を守ることができる。裁判はいつかは終わる。一生かかるわけじゃない。その先をどうやって生きていくんだ。君が辞めた瞬間から私は君を守れなくなる。新日鐵という会社には君を置いておくだけのキャパシティはある。勤務地も色々ある。亡くなった奥さんも、ご両親も、君が仕事を続けながら裁判を見守ってゆくことを望んでおられるじゃないのか』
また、次のようにも述べた。
『この職場で働くのが嫌なら辞めてもよい。君は特別な体験をした。社会に対して訴えたいこともあるだろう。でも、君は社会人として発言していってくれ。労働も納税もしない人間が社会に訴えても、それはただの負け犬の遠吠えだ。君は社会人になりなさい』
【なぜ君は絶望と闘えたのか?本村洋の3300日 門田隆将著】
この記事を書いていて思い出したのですが、昔カナダのジュエリーショップでバイトしていた時の事。男の人が「彼女の誕生日に彼女の好きな緑色の宝石
のついたネックレスをプレゼントしたい。」と来店されました。ネックレスエリアに移動して緑色の宝石であるペリドット、プリナイト、ターコイズなどを紹介
しました。が、彼が「これいいな」と指さす物の多くがシトリンというオレンジ色の宝石。「?
えと、緑色でお探しですよね?」と言うと「あれ、これ緑じゃないの?ごめん、俺目に障がいがあって緑が見えないんだよ」と。返答に戸惑いながらも、サイ
ズ、値段、好きなデザインを聞いて緑の宝石を別のトレイに移して見てもらいました。
その後その内のひとつを気に入ってもらい、会計する事に。その時に、まだラッピングしていないそのネックレスを見つめながら彼がつぶやいたセリフが忘れられません。
「俺、緑ってどんな色かわかんないけど、彼女の好きな色なんだから、きっと綺麗なんだろうな…」
言葉につまりながらも「爽やかで、とっても落ち着く綺麗な色ですよ」というと少し切ない表情で微笑んでいました。
私はディズニーっぽいものが嫌いなんだけど、まあそういった好き嫌いは置いといたとしても。なんていうのか、ディズニーランドの演出って、すげえ馬鹿みたいだと思う。
「ここは別世界だから時計は置きません、皆様はお客様ではなくてゲストです」みたいなこと言ってさ。「ここには従業員などいません、ミッキーマウスの中に人は入ってません」とか電波みたいなこと言ってるくせにさ。
ジュースひとつ買うにも、ハンバーガーひとつ食うにも、コインロッカーひとつ使うにも、客から金を取るじゃん。なにをするにもいちいち金を取るし、銀行まで設置されてるじゃん。あれが納得いかないんだ。「ゲートをくぐったら別世界、皆様はゲスト」とか言うんだったらさ、いっそ入場料を二倍なり三倍なりにしていいから、園内のどこででも、好きなものを取って飲み食いできる形式にすりゃいいじゃん。そこまでやって初めて「夢の世界」になるんじゃないの。
屋台のチュロスとか、なんかこう、楽しげなオヤツを楽しげな演出で売っててもさ、あれの一本一本に値段がついてるのって、めちゃめちゃ興ざめな話だと思うよ。「二本で×百円になりまーす」って、それがゲストへオヤツを渡すときに発するセリフか? 相手を消費者だと思ってる証拠じゃないか。やっぱりただの遊園地じゃないか。演出が中途半端すぎる。時計や従業員やゴミ袋を隠す前に、通貨を隠せよ。いちどゲートを潜ったゲストにサイフを出させるなよ。皆さん、そう思いませんか。